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湖東三山を行く3 百済寺 [散策]


百済寺は、推古天皇の時代に聖徳太子が百済人のために創建したという寺で
百済国の「龍雲寺」を模して創建されたという。
歴史は湖東三山の中で最も古い。
百済寺の読みは「ひゃくざいじ」で「くだらじ」ではない。
訪問してこのことを初めて知りました。

なお、この寺の境内は国の史跡となってるという。
最盛期には、千坊の寺院が並び千人を越える僧侶がいたらしい。
が、火災で焼失、さらに織田信長の焼き討ちにあい、多くが消失したという。
表参道は、落ち葉でうまり、紅葉の名残を残していた。

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まずは受付をとおり、庭園を散策。

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紅葉の名所ながら、今はもう冬の姿になっていた。

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庭園から本堂に向かうが、これが私にとっては難所なのだ。
一緒に来た人たちは表参道を登るが、私は、なだらかな脇参道を行く。

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それでも、息切れがして、歩は亀さんだ。
最後は、逃れられない石段が続く。

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必死の思いで仁王門を通過!

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本堂に到着するもフラフラである。
友達はみんな上で待っていてくれた。
が、踏ん張って本堂に入る。

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俗な私は、美仏見たさの一心(笑)
「院派の銘作」と歌われる如意輪観音と聖観音様である。
観光案内には、あまり書かれていないが
「一生に一度は見たい」といわれる美仏が二体あるというのだ。
で、拝ませて貰った。
これで一安心!

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              (聖観音)

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               (如意輪観音)

本堂のそばにある千年菩提樹も会うことが出来た。
やれやれである。

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遙か西方で夕暮れにかすむ比叡の山々を眺めながら下山した。
ほっとした気分だ。


湖東三山を行く2 金剛輪寺 [散策]

西明寺を後にして、南下し金剛輪寺へと向かう。
この寺は、湖東三山の真ん中の寺で、国宝・重要文化財が最も多い。
それは、織田信長の焼き討ちから免れた物が多いと言うことである。

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聖観音と書かれた赤提灯の下がる門を入ると受付がある。

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そこから石畳の坂道を登る。両側には石垣が有り、かってそこには
多くの寺院が建ち並んでいたという。

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突き当たりに「赤門」があり、そこを右に登っていくと

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道の両側に沢山の石仏が赤いエプロンを掛け、風車が備えられている。

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わりと急な坂道をひたすら登ると急な長い石段が待ち受けている。
石段を登り切ると重要文化財の二天門にたどり着く。

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門を入れば、正面に本堂、左手に真っ赤な紅葉があった。
「血染めのモミジ」と呼ばれている。

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その奥に重要文化財の三重塔があった。

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本堂では、ちょうど今日が最後の秘仏公開日であった。
それは、天平時代に作られたという小さな仏像「聖観世音菩薩」
ありがたく拝んで下山した。


湖東三山を行く 西明寺 [散策]


湖東三山は、滋賀県湖東地方の西明寺、金剛輪寺、百済寺の三つの天台宗
寺院の総称である。
琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山腹に位置し、百済寺の南東に位置する永源
寺と共に紅葉の名所として知られている。

が、私達が訪れたのは、12月8日で、紅葉も終わりの頃だった。
まずは、三山の内、最も北側にある 龍應山西明寺に行った。

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この寺の見所は、なんと言っても本堂である。
国宝第一号の建築物なのだ。
鎌倉時代の初期、飛騨の匠が建立した純和風建築で、
釘が一本も使用していないというのだ。
堂内は撮影禁止だが、重要文化財の鎌倉時代の仏像が並んでいる。
その中になぜか浄土真宗を開いた「親鸞聖人座像」もあった。

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本堂の横には、同じく国宝の三重塔があるが、こちらも釘を使っていない
建築物だそうだ。

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山門は、室町時代初期に建立された物で二天門と呼ばれ、
これも重要文化財である。

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庭園は、「蓬莱庭」といい、国指定の文化財だ。
池泉回遊式の庭園で、池の中央に折り紙の形をした鶴島と亀の形をした亀島
がある。

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ところでなんと桜が咲いていた。
天然記念物の西明寺不断桜である。春秋冬に開花するという。樹齢は250年以上になるらしい。
で、これも県の文化財に指定されている。

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二天門の階段下には、夫婦杉があった。

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なにやら、宝物が一杯の寺ながら、季節外れなのか訪問者は、わずかだった。


もみじ三昧 [散策]

2016年11月22日(火)

おだやかな天気に誘われて、帰省したのを機に、近くの紅葉で有名な
用作(ゆうじゃく)公園に出かけてみた。

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昔は朝地町だったが、今は町村合併で豊後大野市に組み込まれた。
町の紹介や公園については、町の能書きにお任せして、紅葉を堪能した。

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この公園は、近くにありながら、生まれて初めての訪問である。
「もじみ祭り」の幟があがり多くの観光客で賑わっていた。

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ふるさとの町も捨てたもんじゃないなあと思った(笑)


疎水散策 小関越え [散策]

2013年4月23日(火)

「友人が山科から琵琶湖まで散策する企画をしてるけど参加しない?」
と妻が誘ってくれた。
「ただし、途中に”小関越え”があるそうよ」という。
僕は、坂道を歩くのは、大の苦手なのだ。
肺の病で、すぐ息切れして、苦しくなる。
「ゆっくり歩いたらいい、遅くなっても私がつきあってあげる」と言うので
参加することにした。

JR山科駅に10時半集合。
総勢8名で出発、洛東高校を横手にみて、疎水沿いを歩く。

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途中、道路沿いの民家の前で、パンフレットが置いてあった。
自由にどうぞというので、いただいた。
疎水沿いの散策には、24ページの貴重な資料で、よくできた内容である。

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散策路もきれいに整備されていて、気持ちよく歩ける。

諸羽トンネル(京都側)
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諸羽トンネル(琵琶湖側)

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一燈園

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一燈園関係の「小さな直売所」でトマトなどを売っていた。
で、早速ご婦人方は、お買い物

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疎水沿いの道を進む。
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さらに進むと藤尾川が道沿いに。
その川の中でサギが一緒にお供してくれた。

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もうここは、滋賀県
第一トンネル西口洞門に到着
「扁額でたどる琵琶湖疎水」という看板があった。

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眼下にみえる洞門には、山縣有朋 揮毫の扁額が見える。
看板にも解説がある。
「廓其有容」(かくとしてそれいるることあり)
( 疏水をたたえる大地は奥深くひろびろしている)

やがて、僕の苦手な上り坂となる。
参加者は、野の花などを眺めながら、
「あれは食べられる」「・・・・して食べるとおいしい」・・・
野の花を愛でるかと思えば、その実、食への関心の方が大きいらしい。

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が、僕は、その仲間には入れるような状況ではない。
とにかく、息を切らして、ゆっくりとしか、歩けないのだ。
で、どんどんみんなに遅れていく。

そんな僕に妻ともう一人男性がつきあってくれた。
ありがとうです。

ところが、先の食グループは、野の花とのつきあいで、
ますます話に花が咲き、スピードも落ちて、
僕はおかげで、追いついた。

さらに、追い抜いて、一人ひたすら歩く。
とうとう、小関峠にたどり着いた。
本当にホッとした。
もうこれで、難所は抜けたという思いと、
がんばって歩き通したことへの満足感が胸を膨らませてくれた。
一人、先にさっさと歩いていた人が峠で待っていてくれた。

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が、食のグループは、なかなかやってこない。
二人で待つことしばし。
なんだかウサギとカメの話を思い出したよ。

ようやくやってきた妻を見ると帽子にアケビを巻き付けている。
敗残兵みたいだと言いながらも、なぜかうれしそうに僕に自慢する。

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峠の近くに「喜一堂」というお堂があった。
地蔵さんがまつられている
工事で発見された地蔵を地元の人が平成元年に建立したという。

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そこから琵琶湖側の道は、今登ってきた道よりも傾斜のきつい坂が
延々と続いている。
木や花を眺めながら、歩いていたら、登ってくる婦人がいた。
「たいへんですねえ」といったら
「どうってことない。毎日歩いてる。庭みたいなものです」と
さっさか登っていくのだ。
びっくり仰天である。

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坂道を下りきると、大きな墓地が有り、寺もある。

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石の道標が立っていて、そばに説明の看板があった。

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が、それと同じ場所に恐ろしげな案内板もあるのだ。
後で調べてみようと思った。

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長等神社前をとおり、

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疎水第一トンネルの洞門を見る。
こちらは、鉄の扉がついている。

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大津閘門に至る。
これって「こうもん」って読むのだが、知らんかったなあ!
船の航行のための水位を調整する所だというのだ。
勉強になりましたです。

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そこから浜大津まで歩いて、遅い朝食会。
料理は中華料理だけど、なんと言っても、生ビールがおいしかった!!
で、おもしろい話で満開!
楽しい一日になりました。

でもって、例の恐ろしげな看板の話
昔、本願寺の蓮如上人が比叡山延暦寺衆徒から親鸞聖人の木像の真影を守るため、
比叡山と対立する三井寺にその真影を預けた。
その後、文明12年(1480)山科本願寺が建立されたので、
預けた真影を返してもらうために門徒衆が三井寺を訪ねた。
ところが三井寺は「真影を戻してほしければ、人間の生首二つ持ってこい」
という難題を持ち出したのだ。
光徳寺の門徒で、源右衛門、源兵衛という漁師の親子がいた。
この難題を聞いたふたりは、自らの首を差し出そうと心に決めた。
父源右衛門は、息子源兵衛の首を持ち三井寺に出向いた。
「もうひとつの首は?」と聞かれて
もとより覚悟の源右衛門は「このわしの首だ」と行った。
三井寺は、親子の殉教心に感じ入り、真影と源兵衛の首を返した。
という話である。
が、なぜか源兵衛の首は、堅田の光徳寺、ここ等正寺、
さらに両願寺にもあるという。
源兵衛の首が三つある。
三寺ともに自分ちのところが本物だといってるとか。
どうなってんの?